150年の学校の歴史⑫

本日から,歴代の卒業生の方々から寄せられた思い出話を紹介します。

1951年3卒業の方

灼熱の太陽の下で、全校生徒が校庭に整列して玉音放送を聴いた年に、不動堂小学校に入学しました。終戦直後で国土は荒廃し、物は不足し、白米などを口にすることはできませんでした。今のように学校給食はなく、白米少しにじゃがいも等を混ぜ、梅干しを入れた日の丸弁当でした。帰宅しても、おやつ等になかなかありつけないので、学校の授業が終わると友達と鳴瀬川の堤防に直行し、川沿いの桑の実食べ、口のまわりを紫にして帰宅したものです。その友も、今は黄泉の国へ旅立ち、時の流れを感じています。

学校行事で楽しかったのは、音楽隊付きの運動会でした。音楽隊は運動会を盛り上げてくれ、忘れられない思い出となっています。また、遠足は前谷地の旭山公園まで数時間かけて歩き頂上から眺めた太平洋の大海原は、疲れを吹き飛ばしてくれました。

創立一五〇周年おめでとうございます。卒業生の一人として誇りに思います。